僕の初渡米は かれこれもう四半世紀前になろうとしています。
僕は幼い頃からパイロットになることが夢でした。
小学校5年生の時にとある空港で開催された航空ショーで轟音とともに華麗に舞った米海軍ブルー・エンジェルスのF4-ファントムの勇姿が “パイロットになる!” と僕の心に刻まれたようです。
高校を卒業後 プロのパイロットを目指しましたが 近眼で断念。その当時、日本では裸眼で一定の基準の視力がないとプロのパイロットへの道は閉ざされていました。
しかし、夢を捨てずにいるとアメリカで自家用操縦士免許取得のチャンスが巡ってきました。
そのチャンスに僕は迷わず単身アメリカへ渡る決意をしました。
留学資金稼ぎのためアルバイトをしていたR社を辞め、新幹線のホームで同僚達に見送られ
イザ、成田へ出発! そんな時代でした・・
成田国際空港からシアトル行きのタイ航空で渡米の予定でしたが、成田でボードをチェックすると
なんとスケジュール・キャンセル!?
エンジントラブルでその日シアトル行きは欠航となり、航空会社が用意した成田ビューホテルに一泊することになりました。
成田ビューホテルのエレベーターで ブロンドの美人と一緒になり….
胸はときめき あれこれ思い巡らしたものの 何も起こるハズも無く 翌朝4時半には航空会社の人のモーニングコールで起こされました。
いよいよ(駅で見送られてから20時間後 ようやく)憧れのアメリカへ飛び立ちました。
その約8時間後
僕はアメリカのシアトル空港に降り立ちました。
「へ~ これがアメリカか~」
時差でボケボケの頭のまま イミグレーションへ。
「え~っと 滞在は1ヶ月って言うんだったよな・・
目的は観光・・
泊まるところはサンフランシスコの知人の家っ・・・と」
飛行機の免許を取るために入国するのですから、本来ならばF-1という学生ビザを取得して入国をしなければならなかったのですが…
実はお世話になった旅行社の教えでB-2の観光ビザで入国しようとしていました。
結論から申しましょう。
イミグレーション・オフィサーに見事に見破られました。
「違う違う」 と言い張ったのもいけなかったのかもしれません。
その入国管理官は
「今 おまえがそこまで言い張るのなら裁判官を連れてくる。それで判決が出る とおまえは強制送還となり今後10年間アメリカに入れなくなる。
しかしここで入国をキャンセルし 国に帰るのならレコードは残らないが ・・・どうする?」と聞かれ
「帰ります!!」 と即答したのでした。(笑)
なんと僕は日本から乗ってきたタイ航空の折り返し便で成田に帰ってきたのです。
アメリカ滞在時間3時間
すごくキツイ旅でした。(笑)
しかしその時印象に残っているのは 空港のターミナル間を走る地下鉄でした。
とにかくでかいアメリカをまずは少し見てきました。
Max
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